| 実験ファイル その3 〜再生空間での集い〜
2002年2月
●立候補により、ボランティア スタッフ制度開始
実験:直接民主制でCAFE&SALONは運営できるか?
有志で集まったボランティアがシフトを組み始める
それに伴い天人はイベント、文化教室、カフェの三本柱の内
CAFE&SALON部門の非営利化とボランティアさんたちとのCAFE&SALONの共有を提案する
ボランティアスタッフの誕生である。運営は直接民主制でやってみよう!
<実験!直接民主制CAFE&SALONとは>
CAFE&SALONについてはボランティアメンバーにすべての情報を公開、売上から金庫の鍵の場所まで!
人呼んで「信じるものは救われる方式」
もともと公園のように自由な場所を維持するための飲食部門。
そんな天人が好きでそれを維持するために自然に集まったボランティア。
だから儲け方から使い道までみんなで決めよう。
つまりCAFE&SALONは利益が出ても皆の夢のために使う。多数決で使い道は皆で考える。
JUNも一票のみの権限で皆に参加する。
店長JUNの生活は天人の残りの部門、自分のパフォーマンス、イベントブッキング、文化教室で生計をたてる。
2002年2月
●音響ライブスタート
2002年4月
●ミーティング 毎月曜日定期開催
決定する事が多くなり全体会議が必要になる。
意見と新たな決定はすべてここで行われる
不参加の場合は決議件は参加者に委任されたものとみなされる
●哲学ハヤシライス実験
中崎町は店がない、人が通らない。さらに天人は下町の裏路地の奥の店。
存在自体知られていない。
このままでは店が潰れてしまう!なんとかしなければ!!
昼食時、本町などのビジネス街でハヤシライス屋の路上出店。
だが、ただの弁当屋では面白くない…sokode
買ってくれたお客さんに哲学の一言を書いてプレゼント。
ハヤシライスを食べながら哲学してもらう。
名づけて「哲学ハヤシ」
日本を<ビジネス街からかえていくぞプロジェクト>発足!
天人一番人気メニュー、プラネットーカオリのハヤシライスと哲学者ナカタの夢の共演、しかし…
哲学者ナカタは何故、「哲学」と「ハヤシライス」なのかという迷宮で哲学してしまい、
あまりの難題に答がでず、この結局このプロジェクトは1日で終わってしまう。
● 直接民主制CAFE&SALONやってみて
「なんでも責任とらず、好きにさせてくれるのが天人でしょ。」
という誤解が一部の人の間で発生する。
決定したことは一応、店長JUNが承認して実行する形式をとっていたが
承認なしに、メニューや営業時間、定休日など自由に変えていきたいという。
そこで…
ボランティアスタッフだとしても運営に関して、
決定権を持つのだから責任も負うと明言。
自由には責任がセットであることを理解してもらい店の
運営システムにそれを取り入れる方法を模索。
ボランティアスタッフも必然的に自然淘汰が行われ、離れていく人、
本格的やってみたいという人に2極化する
直接民主制CAFÉのボランティアに必要な条件が見えてきた。
1)店の立場で運営に携われる人(つまりボランティア)である事の自覚。
2)自分の夢希望と店の利害の一致する所でものを考えられる調和の思想があるか
3)自分の夢を叶えたいのと同じように他の皆の夢も叶えたいと思っているか。
(強い者が勝つ弱肉強食ではなく、足ることを知って皆が段階的に夢を叶えていく
腹八分目の共生が理解できる。)
● この後、スタッフは運営スタッフとボランティアスタッフに分かれ
自由選択性を取るようになる
○運営スタッフ 運営会議での決議権を持ち、道義的責任も持つスタッフ
(例 会議への欠席連絡や、決定事項の遵守等)
○ ボランティアスタッフ 会議での発言、希望の陳述はできるが、決議権は持たないスタッフ
2002年4月中旬
●写楽CAFE スタート
運営スタッフから写楽CAFE&SALON構想がでる。
僕らの店がほしい!写楽メンバーで火曜、水曜 木曜 昼から18:00まで
写真サロンをさせてほしい…店の運営はそのメンバーでまわす。
この当時CAFE営業は夕方4時以降のみだった。
<写楽とは>
天人で自然発生した写真プロジェクト
写真好きの人たちが自然発生的に集まり店の手洗いのスペースに暗室を作った。
お金をかけずもらい物と拾いもので…
プロの写真家(多くが天人を取材にきたカメラマンさん)がレンズなどくれた
自宅に暗室がなくてもここで共同暗室を運営し写真の楽しさを分かち合い広めて行こう
2002年4月下旬
●タイタニックアワースタート
●厨房ミーティング始まる
全体ミーティングとは別にCAFÉを本気でやりたい人だけが有志で集まって
厨房ミーティングをするようになる。
営業は土日お昼から営業するべきという意見により営業時間延長。
週末は遠方から見学者が訪れるようになって早くニーズが生まれてきた。
古民家再生ブームとCAFEブームにより関東や沖縄から人が訪ねてくる。
一体どこできいてくるのだろう?
2002年5月
●写楽CAFE廃止
●5月31日天人発結婚式
5月14日
●理想の学校「人類大学」草案。 無料 無差別 無構造の学び「響育」
アマントから生まれた芸術活動「Whojin」
ART toEART 大地のための芸術。人類の生態系への帰還
2002年6月
●テント(天都)運営スタッフ会発足と明と暗
町会副会長の浅野さん所有の空き物件を不定期でギャラリーとしてかりていた。
名づて「ギャラリー天都(tento)」
天人にくるお客さんの中に中崎町で事務所を持ちたい有志が集まりギャラリー2階で
共同事務所を作る計画が立ち上がる。
メンバー
S氏「祭り工房」
H氏「地球子屋(てらこや)」
JUN 「EART CENTER事務局」の3グループで共同オフィス
しかし…内装の改装に入った時点で常設の事務所は無理という事で計画は中止。
メンバーは宙に浮く。
2002年6月中旬
●FM天人始動 泣くなアマント79・7MH
地域の防災放送をキーワードに日中はアート情報を発信を計画!
お客さんでDJ志望者、FMファン、無線好きの人が集まって
機材を持ち寄り階段したのデットスペースにスタジオを開設する。
●スタッフ部門責任者決定
●カフェ営業時間変更
月〜金 12:00〜23:00
●6/21難民CAFE
2002年7月26日 天人1周年
2002年7月
●地域通貨マント開始
決して裕福でない天人。ボランティアスタッフ、運営スタッフの給料の足しになればと
地域通貨で支払いができるようになる。マントで文化教室も受けられるように、
(全額保障、半額保障、一部負担など各教室によってちがう)
天人での地域通貨の可能性と実験
もともと天人の文化教室はお客さん同志の化学反応で出来上がったものが、大半。
スタッフならずとも自分の学びたいこと、教えたいことを形にして、
スキルアップしていける。地域通貨と組み合わせる事によって
現金を使わない、無料学校(現金を使わない学校)の可能性が見えてくる。
互いが先生、互いが教師、なにも出来ないとおもっている人でも、
場の維持のためのCAFE手伝いで地域通貨はもらえる。
これはDE(*)と地域通貨の組み合わせによる実験である。
* DE=1999年から2001年の世紀を跨る3年で行われた、
響(ゆら)の祭で提唱された21世紀の教育理念としてJUNにより提唱された響育
(disconstractive educathion略してDE)
からきている。脱構築教育とも訳され、
教師、生徒という構造をとらない学びあいを基本とする方法論である。
JUNの地域通貨に対する疑問と提案
地域通貨の利点は21世紀の経済のあり方に無限の可能性を持つ、
しかし我々、その方法論は結局の所、価値の標準化という点において
西洋的発想の域をでない。アジア民族が身に付けてきた多様化した
価値の共生、奉仕、美徳、やりがいなど数値化しづらいの概念は犠牲になりやすい。
教育学的論点ではこのコミニティの中で生き方を学びながら生計を立てていく教育経済の
発想にとっては致命傷になりかねない。
いままで天人にきていたボランティアの中には無償で奉仕したいと地域通貨を
受け取るのを拒否し導入を疑問視する声もあった。
せっかく楽しみで来ているのに地域通貨といえども報酬だから。
自分の思いを数値化してほしくないというのだ。
これは物質消費型幸福論と時間充実型幸福論の違いといえる。
そして私自身はこれからの時代、周辺地域からの搾取による右肩あがりを幸福とする経済に
否定感をもっている。
これからは自分の時間をいったん現金化してそれで消費を楽しむ人生ではなく
人生の時間そのものを美としていく時間の豊かさを求めていく幸福論が大切だと思う。
●天人の地域通過に対する実験 [天人ならこうするぞ地域通過]
2種類の通貨を使い分ける発想。X軸に地域通貨(マント)、Y軸に時間通貨(EART)の2種類を用意して、好きな方を選んで利用する。
* X軸の地域通貨manto/通帳型.1000manto=1000yen..
* 1mantoだけAmantoと呼ぶ
* Y軸の時間通貨EART/1日奉仕活動を1EARTと数え、物品、サービスとの交換は基本的には出来ない。
EARTとはEARTHのHをとってEART、地球共生のための芸術をいい、経済行為のためのARTに対する言葉として生まれた造語。1EARTはその一日の自分の人生の時間を芸術化したという意味、純粋に自分の喜びのためにだけ時間を使えたという感謝の意味をこめて意識する自己努力目標。
この2つの指標のバランスにより自分の位置を考え、生活をより勝ちあるものにかえていこうというもの
2002年7月 オフィス天都、亡き後、Hさんは天人で活動することに
● Hさんの「ビジネスプラン・地球子屋(てらこや)」
議事録からの抜粋
・ 今の天人にあるプロジェクト、ジョイント・ビー(脳みそを繋げよう!)で
天人の「宝」をもっと活用できるよう考えている。
・ スタッフが楽しくみんなで運営していく為の意識場を作ってゆく。
(コミュニケーションをもっととれる環境創り。)
・ 先ずは情報交換の場:来られたお客さんが欲しい・提供できる
情報やサービスをつなげていく掲示板を作るなど
<JUNからの一言>
・今までは「誰か」が造ってくれた「場」で何かをしている状態でいたが、
これからは「私達が天人を造っている」共通の場としての意識に移行したい。
・ Hさんの企画はこれを実現させてくれるのではないか?
実験ファイル その3 〜再生人たちの創生〜
再生された自由意志達の化学反応は何処まで進化、熟成、発酵を生むのか?
● コンシェルジュ開始
欲しい・提供できる情報やサービスをつなげていくデータベース化して
皆の夢を叶える手伝いをする。担当 平松&ヒロ
●天人女子寮スタート
● 天人にビールサーバーがやってくる!
玄関前に巨大テント(キャノピー)設置。ビール会社と交渉してタダでつけてもらう。
雨宿りと夏の縁側の日よけになる。
2002年8月
●専属の事務所がほしい!
天人で仕事が生まれる。人と人を繋げる事を仕事にしていこう!
コンシェルジュが人をつなげ、夢を叶える…利益が生まれると場代として一部を天人に還元。
夢の叶えるコンサルタント的役割をコンシェルジュが担う。
人が集まる場所天人で、集中して仕事できる場所がほしいという事で
お座敷スペースに机イス、パソコンを置いて本格的コンシェルジュブース誕生!
●ボランティアによる暗室完成
便所の手洗いの部分に暗室が完成。
天人で自然発生した写真好きのグループ「写楽」と大工で社会還元しようという
市民グループ「工人(たくみんと)」による共同作業。
2002年9月8日
●天人経理課誕生!
実験哲学カフェの中田氏が経理担当に就任、情報公開できるデータベースを構築
2002年9月20日
●スタッフ制度廃止。プロジェクト制採用
2002年11月
●てらこや始動
結局、人の集まる。天人内で事務所は難しい!コンシェルジュ担当者Hさんの
希望により徒歩1分のところに新事務所てらこや天人を借りる。
ここでHさん念願のWEBデザインチームを作る。「ジョイントb」
天人のコミニティーサイトを作る準備に入る。
2002年12月
●天人で出版社を作りたいという
I氏てらこやに参入。天人出版を立ち上げる。
「月の暦天人月報」を創刊企画
2002年12月
●リエバー開始週一の深夜BAR営業実験
2003年1月
●「月の暦天人月報」創刊準備マイナス3号発行
2003年1月
●癒し家始動
天人に集まった癒し系の人の中で自然発生したグループ
各自癒しのプロ達が天人で癒されにきて知り合った。
2003年2月
●「月の暦天人月報」創刊準備マイナス2号発行
2003年2/9(日)
●第一回「癒され祭」
新しい価値観「いやされ」を提案
癒し癒される関係を離れ、その両者が癒しを享受する空間とそういう行いをする人の総体
を「いやされ」と呼ぶ。当面2ヶ月に一回開催
2003年3月
●クラブダウンで暗室担当「写楽」A氏がイベント。
事実上独立を宣言。イベントと旅をしながら写真をとるというクループになる。
2003年4月
●天人に残った暗室メンバーは新グループ「写し部(utusibe)」を創設。
2003年5月
●天六に「レストラン人(ひと)」オープン。
ラジオ局がありイベント、教室を行なうアーティストとライターが集まる店を目指し
I氏が独立。残念ながら「月の暦天人月報」は事実上、創刊を見ず廃刊。
2003年3月〜7月
●アクダーズアカデミー森羅からの依頼で中崎町JRの高架下にJUN制作、デザインの
学校とレッスン場「森羅空間」をつくる。
2003年5月
●ネイティブアメリカン ラコタ族のドント・レント・ジェイコブ(フォーアローズ)氏天人に
天人で結婚式を挙げる新郎新婦の結婚の儀を!インディアン式でラコタ族のメディスンマンから”4つの矢”の名を与えられる。幼少の頃の神秘体験、野生の馬との対話、様々なシャーマンとの出会いから、人々の潜在能力の目覚めに力を注ぐようになった。現在アリゾナ州フラッグスタッフの郊外に移り住み,ナバホ族のサポートをしつつ、ノースアリゾナ大学で教鞭をとっている。
2003年7月
●メキシコのシャーマンアルセリアさん天人に
2003年7月
●アメリカから胤森(たねもり)さん天人に
爆心地から1キロ余、中区広瀬北町で被爆し、その後原爆孤児として受けた苦しみを胸に、
復讐を誓ってアメリカに渡った胤森(たねもり)さんが長い年月を経て見つけた許しへの道
2003年7月26日 天人2周年
●天人2週年パーティー
天人ゆかりのアーティストが特別出演
入場無料、気にいった人には投げ銭を
16:00頃 ジャズライブ
升本しのぶ
18:00頃 馬頭琴ライブ
品川
18:30頃 クリスタルボウルヒーリング
勝美イルカ
19:00頃 映画上映
(再生巣箱、活弁付ウルトラマン)
19:30頃 「奏偶」(ダンス&音響)
miki lyn taylor & ko-q
20:15頃 オーナーJUN 挨拶
20:30頃 即興演劇
チーム「ベグビー」
2003年8月9日(土)〜16日(土)
● アートポンプ2003開催!
天人JUNと長野県在住アートデレクターKOUの企画する野外フェスティバル。
コンセプトはArtはEartに進化する。
長野県白馬村でアーティストが集合し、人と社会を再生するしようという試み。
最終日の観音原(森の中に突然現れる広場、観音様のお地蔵さんが187体丸く並んでいる不思議スポット)での
奉納パフォーマンスでは雲が割れ月明かりが指し、参加者全員、狂喜乱舞!
Eartは人と社会が本当の意味でもう一度地球生態系に帰っていけるための芸術活動の意味。
JUNの提案する進化系芸術。EARTHのHを取ってEART!
天人出演アーティストも参加
http://www.C.com/ep
2003年9月2日
●コンシェルジュ担当Hさん
大会社役員就任により天人卒業、WEBデザインチーム、天人コミニティサイトは夢のまま…
2003年9月20日
●経理担当中田氏
天人卒業 以後担当は文化教室担当ゆみちゃんが兼任へ
2003年9月
●てらこや閉館
2003年9月
●JUN天人再生プロジェクトスタート。
第一期9/20〜10/17
約3ヶ月をかけシステム構造的な再生プロジェクトだ
まず決定権のJUNに戻し、経理的現状面の把握。費用を削減を目標に!
おもしろそうな状態では多くの人が集まるが実際は自由には責任がともないそんな都合がよい話はない。
プロジェクト、イベントなら出来ても全ての人が経営判断まで出来ようはずもない。
思い通りいかないと去っていく人と、夢を叶えて旅立つ人…大きく袂を分ったように思う。
それは多くの人に天人を極限で解放し貢献できた証であり喜びだ。
しかしそのため残された負債は結局、ハンコをついている代表者にすべて帰ってきた。
もう少し展開を見つめていたかったが、天人が維持できないぐらい負債が膨らんだ時。
この中崎町実験ファイルを終了せざる終えなくなる。
これからも公園でありつづけるため一旦、全てをニュートラルにする。
この期間やってきた人がほとんど卒業していった離れていったこの時期。
無形の構造の再生にピッタリの時期だった。
第2期10/18 11/14
収益の増大と業務管理の合理化、シンプル化!
公園というコンセプトだとして全ての人を残らず受け入れてきた天人。
多くの人の協力で多くの展開を見せたが、資本主義の日本では道義的的責任は
平等でも刑事的社会責任は代表者にある。
スタッフ制度をやめプロジェクト制にした事は代表の決済なく各グループ単独で進めていける迅速さに
メリットがあったが責任を感じれず権利を主張できる環境は各グループが
やりたい事だけやっていれば上手くいくという考えに至るという反省があった。
実際は皆が自由にやっているようでコンシェルジュがコントロールしなくてはまとまらない。
実際、このプロジェクト制によりこの一年、代表者JUNは天人にいないほうがよい
外で活動して天人に有用な情報を集めて欲しいという事で海外でも色々活動させてもらえた。
しかしこの「有用」の意味が個人によって違う。以前と違ってお金になるプロジェクトを優先して
コンシェルジュする傾向があった。
どんな人の夢も叶う場所ではなくなってきていたと思う。
このシステムは何でも自由だよといいながら実際はコンシェルジュ役の人の嗜好に依存し、
建前は全てのプロジェクトが並列に繋がっているようでシステム上、全ての情報を一部の部署が握ることになる。
今回の実験でわかった事は個人に依存するシステムは継続性に問題がある。
その人の意思や嗜好に結果と人が大きく左右されるからだ。
2003年10月
●タイからカンパネルナートさん(夢を折る家)天人へ
2003 11月
●イベント担当吉田氏のせいでCAFE担当斉藤さんの苗字が吉田に変更
店ではややこしいので旧姓サイトウを、通称名に
第3期11/18〜12/12
新しい組織図づくり。CAFE営業外収益の増大と長期プランづくり!
再生人たちの創生で学んだ事。
システムのシンプル化、合理化、収益の増大を目標に
この期間、多くの人が天人に集った。
しかしそれは他所で通用しなかったものがココなら出来るという意味ではない。
自分を取り戻し再生人となるだけでなく、新しい価値観を産んでいこうとする意思力がなければ無理なのだ。
他所で実現できなかった事をここで夢見ても結局は失敗する。
それは各自が、あるときは勇気をもって自分の夢、やり方を捨て、
未来の社会にあるべき自分の理想を作り直し、新しい夢をここで持てた人に未来は微笑むようだ。
そういう意味では真に再生された場所があれば人は自力で回復する。
これはシリーズ中崎町実験ファイルで確信を得ることが出来た。
だがそれは進化できるとはいう意味にはならない。
ポジティブシンキングは何でも都合よくとる事ではない。
自分や環境の絶望的なネガティブな状態を見つめてもポジティブに不断の努力をつめる
笑顔のタフさが再生人の分かれ目になるのだ。
恐竜の時代が終わっても柔軟に恐竜の夢を追わず哺乳類の夢を見られた生き物が未来を作ったではないか。
今時代は大きな変革期に差し掛かり、人は視野の転換と思考の飛躍的進化を望まれている。
そういう意味で条件さえ整え、いい肥料と適度な水と日光があれば誰にもその変革因子を芽吹かせる事が
できるのだ(触発芽と呼ぶ)。だたそうするかは完全に個人の意思に任されているのは間違いない。
2003年12/13
●新システム発表スタート
プロジェクト制とスタッフ制の合体…による
シンプルスタイル。決定権は当面JUNの元にもどしたまま様子をみる。
2003年12/25
●第一回シングルベルパーティー
カップル一組誕生
2003年10月
●モーニング開始
地域の駆け込み寺になりたい天人は24時間営業に近いほうが良い。
地域のお年寄り還元と希望スタッフ、志保の登場で実現化へ
2003年10/19日(日)〜20日
●おじいちゃんのめくれなかった日
天人の前の住人だったおじいちゃんがめくれなかった日めくりカレンダーがこの日。
しずかに偲ぶオールナイトのイベント
23:00頃から
2003年12月
●てらこや改め天人男子寮に
てらこや解約するつもりだったが、男子寮にして有効活用することに!
しかしスグ全室埋まるわけもなくここで天人の経済難がさらに厳しくなるきっかけに…
2004年2月
●モーニング営業継続断念
担当希望者のアメリカ留学により、他のスタッフのフォローも追いつかず、撤退余儀なくされる。
2004年3月
●13の月の暦提唱者ホゼ・アグエイヤス氏天人講演会
2004年5月
●WPPD(WORLD PEACE PRAYER DAYS)
支援活動始まる。(実行委員会、縄文トリオ、チャリティーライブetc)
2004年6月
●天人女子寮に2つ目の手作りお風呂誕生!
2004年6/21夏至
●WORLD PEACE PRAYER DAYS 本番 富士山ろく朝霧高原
天人スタッフも一部参加
2004年7月
●天人バーカウンター完成
キッチン改装パフォーマンスによる!
2004年7月26日 天人3周年
実験ファイル その4 〜天人CAFE大学〜
2004年7月26日
●天人3周年
2年前の草案「人類大学」と「2つの地域通過構想」をあわせて
「天人CAFE大学」を開校
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